みたらし団子

一番好きな和菓子は何って聞かれたら、色々あって難しいんですけど豆大福とかみたらし団子が大好きですね。和菓子と言っても幅広くて上生菓子とか焼菓子なんかは和菓子屋さんで、お餅とか団子は餅屋さんって分け方もあるんです。もちろんウチみたいに両方扱ってる店もあるし、洋菓子も作ってる和菓子屋さんも少なくはないです。ま、食べる分にはジャンルなんて関係ないので美味しければいいかって感じですね。

<あん庵のみたらし団子は大きなお団子が3個で1本タイプです>

みたらし団子の起源はご存知の方も多いと思いますが、京都の下鴨神社が発祥と言われていて、「加茂みたらし茶屋」さんなんか有名ですね。

1串に5個団子がついている意味は一番上が頭で下の4つが四股ともいわれてますし、醍醐天皇が清めのために御手洗池の水を手ですくうと泡がまず1つ出来て、ちょっと後に続けて4つの泡が浮かび、これらの泡をから生まれたともいわれているようです。

数もそうなのですが、お団子の形や固さ、タレのしょっぱさ甘さ、タレの粘度具合もお店によって様々。正解は無いようです。ちなみにあん庵のみたらし団子はやわらかくてタレは甘辛いとろみがあるタイプで、皆さん美味しいと言って下さいます。

でもしっかりとした団子とあまり甘くないさらっとした醤油タイプが好きなお客様には「なんじゃこれ?」って言われた事もあったり(笑) 奥が深いですね~

 

初天神

昨日の1/25は初天神という事で京都の北野天満宮に行ってきました。菅原道真は5歳の時に既に和歌を詠んだそうで、学業の神様になってます。僕もそのおすそ分けで少しは賢くなったと思います

冗談はさておき、昨日は大雪で京都は一面の雪景色。生活している人は大変ですが京都に雪は似合いますね~
北野天満宮では長五郎餅本舗の境内茶店が出ていたのでお薄と長五郎餅のセットを食べてきました。

「京都・北野天満宮の縁日になると決まって現れる一人の老人がいた。境内の出店の者に小さな餅を五、六個売ると去って行く。どこから来てどこへ帰るのか誰も知らない。薄い餅皮にあんを包んだ上品な餅で次第に評判になった。ある時、一人が老人に尋ねると「河内屋長五郎」と名乗った。」(長五郎本舗HPより)

だそうで、こういう歴史を物語るストーリーのある店って素晴らしいですよね。もちろん美味しく頂きました。寒かったのでお抹茶も最高でした。

太宰府天満宮は長次郎餅ではなくて梅ヶ枝餅が有名ですね。こちらは「かさの家」さんや「やす武」さんなどいろんな店で作ってるみたいですね。


さて大阪天満宮は個人的にもお世話になってる薫々堂さんが天満宮にゆかりのあるお菓子を作られてます。そもそも屋号が天満宮の梅花の香りから付けられたということらしいのでやっぱり和菓子屋は歴史を感じます。

近くにも和菓子屋があり、きんつばやうぐいす餅を食べましたが、やっぱり店によって全然違いますね。見た目も配合も材料も製法も。当たり前なんですがそれが面白い。ウチとは全然違うのにこれはこれで美味しいんです。和菓子屋はこういう風に人よりいっぱいお菓子を食べてしまうので気をつけないと・・・。

 

【七十二候】水沢腹堅(さわみず、こおりつめる)

水沢腹堅(さわみず、こおりつめる)/水沢腹く堅し(みずさわあつくかたし)

動いている沢の、水さえ凍ってしまうような寒さが絶頂を迎えるという意味の季節です。1年を72に分けた七十二候という季節の名前になります(欄外に詳細)

この時期二十四節気では「大寒」なになるので、やはり1年で1番寒い時期になりますね。昨日から大寒波が来て雪が降った地域も多かったのではないでしょうか?もちろん南北に長い日本なので北と南に違いがありますが、寒い時期には変わりありませんよね。

僕は大阪なので、そんなに雪が積もったり冬が厳しいって言う事は無いんですが、それでもやっぱり何年かに1度雪が降ったりボイラーに引いてる水道管が凍ったりします。朝ボイラーが使えない時とか仕事ができないので大変です。なのでそうならないように断熱材とかを巻くようにしてからは一応大丈夫ですけど。

ところで、話は飛びますが天神さんでお馴染みの菅原道真が生まれたのは6月25日です。
太宰府への左遷されたのも1月25日
他界したのも2月25日
と言うことで25日が天神様の縁日になっています。
だから今日1月25日は初天神と言うことで天満宮に参られた方も多いのではないでしょうか?

僕も行ってきました。明日のブログで紹介します(^^♪

 

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七十二候という季節があります。恐らく世界で日本だけだと思います。四季が明確にあるだけでも珍しいのに、それをさらに24もの季節に分けた皆様ご存知の「二十四節気」という季節があります。いわゆる「立春」とか「夏至」とか「大寒」とかですね。その24の季節を更に各3つの季節に分けたものが「七十二候」と呼ばれる季節です。

おおよそ5日ほどで変わっていく季節。そんなに変化ある?って思う方もおられると思いますが、季節の名前を聞くと「なるほど!」ってうなづける事も多いです。日本の素晴らしい環境とそれを感じとる感性豊かな日本人。日本に生まれてきて良かったと感じる瞬間です。

(元々この暦も中国から入って来たとされてますが、現代に残ってる暦は日本に合わせて日本独自にブラッシュアップされたものと言えます)

参考文献
日本の七十二候を楽しむ~旧暦のある暮らし~
白井明大(株KADOKAWA)
季節七十二で候。
大田垣晴子(株KADOKAWA)
くらしのこよみ
うつくしいくらしかた研究所
くらしを楽しむ七十二候
広田千悦子(泰文堂)
にっぽんの七十二候
角謙二(株式会社枻出版社)
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羊羹その1 なんで「ひつじ」やねん

羊羹(ようかん)ってご存じですか?

「そんなもん知ってるわ!」って怒られそうですが、そうですあなたのイメージしてるそれ、それが羊羹で間違いないです。

間違いないのに人によって想像してるものがきっと違うと思います。羊羹と言っても色々ありますから・・・。

 

そもそも何で「羊」っていう字を使うのか不思議に思った方も多いと思います。まさか昔は羊羹に「羊」が使われていたのかな?って思ったりして、そんな訳ないし。と思ったり・・・

はい、正解は本当に羊の肉が使われていたんですね!驚き‼‼

そんな羊羹食べたくないですよね。甘い羊羹の中に羊~。でも待ってください。今の羊羹の中に羊の肉が入っていたんじゃないのです。元々中国から伝わった羊羹は羊の羹(あつもの)。要するに羊の肉の入ったとろみのある汁物のことだったのです。同じように猪羹(ちょかん)、海老羹(かいろうかん)などもあったのですが、長い時間が経つにつれ羊羹だけが残ったようです。

 

日本に伝わったのは鎌倉時代や室町時代と言われ、仏教では肉食が禁じられていたので小豆で代用され、砂糖が使われるようになりました。この辺りは肉まんが饅頭に変わっていった経緯に似ていますね(饅頭の話はいずれしていこうと思います)

 

でも製法は小麦粉を混ぜて蒸しあげて固めるというやり方で、今の「蒸し羊羹」に当たります。そうです、昔は羊羹と言えば蒸し羊羹だったのです。大阪では廣井堂さんの栗蒸し羊羹が有名です。先日もお邪魔した小松市の松葉屋さんの蒸し羊羹「月よみ山路」も絶品ですし、長野の小布施堂さんや中津川のすやさんも有名処ですね。もちろんあん庵も美味しい栗蒸し羊羹作ってますよ(笑)

江戸時代になって寒天が発明されると、小麦粉ではなく寒天で固めた水羊羹が出てきました。福井県では水羊羹は冬に食べるもの。冬のスーパーに行くと他府県では考えられないくらい水羊羹がずらーっと並びます。

 

ホントにざっくりいうと、水羊羹を煮詰めていくと「練羊羹」になります。水分を飛ばしてあの独特の引き締まった食感になります。和菓子に全く興味のない方でも、とらやさんの羊羹はご存じだと思います。大阪近郊では駿河屋さんが羊羹をけん引していってます。全国各地に色んな羊羹を作ってる和菓子屋はあります。恥ずかしながら私はまだ行ったことが無いのですが小城羊羹を求めて佐賀に行ってみたいとも思ってます。

羊羹の事奥が深すぎて長くなるのでこれくらいにしておきます(笑)続きは又ぼちぼちと・・・。

 

 

参考文献

和菓子夢のかたち 中山圭子
東京書籍株式会社
ようかん
虎屋文庫 新潮社

恵方巻からの恵方ロール

「知らんけど」

この言葉が2022年の流行語になったと聞いて逆にびっくりした関西人も多かったのではないでしょうか?
だって昔から使ってる言葉で、今更流行語と言われても…って感じですよね。

それと同じような感じで全国的に当たり前だと思っていたことが関西や大阪だけの文化と知ってびっくりしたことも多かったです。
タコ焼き機を持ってない家なんてあると思ってなかったし、「モータープール」も「足ぐねった」も「遠慮のかたまり」も「からい(しょっぱい)」も「大学1回生」も「三角座り」も「蚊に噛まれる」も「しんどい」も「お造り」もみ~んな標準語と思ってたんです(笑)

そんな仲間の内かも知れませんが、「恵方巻」も元々関西の文化で今は全国に広がったという事のようです。これも昔は全国文化と思ってました。

海苔屋さんが考えたとか色々所説はあるようですが、太巻きを丸ごと1本しゃべらずに恵方の方向で丸かじりとは中々面白い文化ですよね。それまでは名前もまちまちだったのが、あるコンビニが「恵方巻」と称して広島で販売したのがきっかけで全国に広まったようです。今の時代コンビニが文化を作っていくということも珍しくなくなってきましたね。そりゃ全国に5万件以上あるので影響力ってすごいですね。個人的には地方の珍しいコンビニも生き残って欲しいし、何でも全国文化になるより地方色の強い伝統も面白いと思います。でも知って欲しいし複雑ですね

恵方巻の派生でいつのころからか菓子業界にも「恵方ロール」というものが定着してあん庵でも10年以上前から作ってます。最初は見向きもされない感じでしたが年々反応は良くなってきてます。お寿司は食べんとアカンし、ロールも食べなアカンし、大変なのでウチのロールはちょっと小さく控えめにしてます(笑)

生地は「浮島」っていう生地で立派な和菓子の素材です。何も知らなくて食べたらほとんどの人は普通に洋菓子のスポンジ生地だと思って食べると思いますね。でも実は主成分はあんこと米粉と卵です。小麦粉も使ったりするのですが、いわゆる洋菓子の生地とは食感が全く違います。興味ある方は食べ比べてみると面白いですよ☺

厄除け饅頭

今日は厄除け饅頭についてお話しします。
もしかしたら関東地方はまた違うのかもわからないですけど、関西地方ではよく厄除け饅頭と言うものを配ります。

人生には厄年と言うものがあり、その厄年に当たった人が、自分の厄を饅頭に託して、周りの人にその饅頭を配り、厄をもらってもらう。今風に言うとみんなでシェアしようかみたいなノリです。

えーそんな人の厄をもらうなんて、何でそんなことせんとダメなんだ!と思った人。とても気持ちはわかるんですが、実はこの厄除け饅頭を食べると言うのは、厄を消し去ると言う意味合いがあるので、実はこれ人助けになってるんですね。
要するに食べる側も人助けをしている配る方も、人に振る舞っているわけですから、良い行いとみなされ縁起の良いこととなっています。

一般的には、小豆の入ったもの(小豆は邪気払いがあると言うことから)を配ると良いとされ、もちろん、和菓子屋には厄除け饅頭と言うものがあるので、それを配るもよし、厄除け饅頭でなかったとしても、小豆の入ったものを配るのもいいと思います。

ちなみに、あん庵では、厄除け饅頭と言うと、紅白の常用まんじゅうに厄除けの夜勤を押したものになります。一方で、黒糖まんじゅうタイプの厄除け饅頭もとても有名です。でも、近年はどら焼きや、生どらに厄除けの焼印を押して配ると言うことも増えてきました。時代とともに変化するもんですね。でもそれでいいと思います。大事なのはみんなが笑顔になることだと思います。

※ウチでは何と厄除け生どらやき何てモノもあったりします。
Youtubeのショート動画でも見れますよ(^^♪
https://youtube.com/shorts/jx2AdFsdMxE?feature=share

厄除け饅頭を配る時期は、大体節分を目安にすることが多いです。節分までに配るのが理想ですが、過ぎてからでも配る人もちらほらいらっしゃいます。
ちなみに節分の次の日は、立春旧暦では正月になりますね。今の暦は、旧暦と新暦がごちゃまぜになって、節分も新暦で表示してますが、実際には旧暦にそってやるのが本当かもしれませんね。

事実、日本の季節と暦は多少のズレがあって、実は旧暦で見る方が実際の季節としっくりくることが多いと感じています。赤穂浪士の討ち入りの日が雪で積もっているのは旧暦の12月14日、今で言う1月から2月位の1番寒い時期だと言う事は有名なお話ですね。

次回は恵方巻(恵方ロール)について・・・

厄年ってなに?

厄年ってよく聞きますよね。

数え年(今の人馴染みないかも)で男性が25、42、61歳、女性が19、33、37歳になる年のことを厄年って言います。
その前年を前厄、後年を後厄と呼んでます。厄年の中でも男性は42歳、女性は33歳が「大厄」と呼ばれていて特に注意が必要とされているとの事。その他にも子供の時の厄とか、女性はさらに小厄なんかがあるみたいで、それぞれに前厄、後厄とか言い出したら一生のうちの12年間とか15年間は厄年で過ごすことになっちゃいますね・・・たいへん。

でもこれ厄年にトラブルが必ず起きるって言うことでは無いんですよね。人の成長過程で身体的な変化が起こる時、精神的な変化が起こる時、環境が変わる時など節目の時にあらかじめ気をつけようって言ってくれてるんだと思います。男女で微妙に歳が違うのもそういう事かも知れませんね。

寺院等で厄払いを行ってるところがあるので厄年に当たった人はぜひ厄払いに行ってくださいね。仮に信じてなかっても神聖な場所に時間をとっていくってことに意味があるって思います。普段中々行くことも少ないので身が引き締まりますしね。

次の回は「厄除け饅頭」について・・・

 

NHKニュースの中でアクセス数 TOP10入り

先日和菓子デザインコンテストに取材に来てくださったNHKさん
NHKニュースの中でアクセス数TOP10入りしたと連絡ありました
参加してくれた子ども達に感謝です❣️
思えば子どもの時によく親に「新聞に載るようになれよ」って言われてました。「悪い事したら簡単に載ること出来るけど、良い事して載るのは難しいんやで」って。
もちろん何気ない冗談で言ってたんでしょうけど、小学生の僕には「へ~そうなんや、難しいんや。そんなに難しいなら載ってみたいな」ってずっと心に残ってました。今回の様に取り上げて頂くのはもちろんありがたいのですが、僕にとってはひそかな親孝行のつもりにもなったりしてます。言ってた親父はもうこの世にいませんが、天国で見てくれてると思ってます。
NHKニュース

TBSテレビ・ジョブチューンの炎上について(ウラ話)

ここ最近TBSのバラエティ番組ジョブチューンについて炎上しているみたいですが、番組に出演させて頂いて現場を見たことのある一個人として感想を述べたいと思います。もちろん僕の見た範囲の話でしか無いので、知らない事気づかなかった事もあると思いますので、その辺はご理解の程宜しくお願い致します。

最初に「ヤラセ」については無かったです。スタッフの方もそこはかなり気を使ってました。スタッフからの進行上の説明でも審査に影響することがあったらいけないので、言葉一つ一つ選んで話されてたという印象です。

逆に審査側としては前もって勉強もしたいので、例えば前日にメニューを教えてくれるのかがあると思ってたのですが、本当にスタジオで本番が始まり、「はい、どーぞ!」って感じでお菓子が出て来ます。もちろん次は何が出てくるか分かりません。審査する方もえげつないくらいのプレッシャーなんですよ、コレ。

ただ演出と言うのはバラエティの性格上あると思います。ただ撮ったVTRをそのまま垂れ流しても何も面白く無いですし、第一、7時間(プラスお店紹介や芸能人のスタジオ収録の部分)にも及ぶ収録を何台ものカメラで撮った映像を枠に収めるのですから、9割以上はカットという事になると思います。

ですので、同じカットを効果的に繰り返し使ったりテロップや効果音が流れたり、時系列を逆にして盛り上げてみたりという風に演出があるのだと思うんですね。

その一つに審査員などの発言や批評のどの部分を使うか?になってきます。例えば仮に10個褒めて3個批判したとします。ところが編集でその10個をカットして3個批判した部分だけを放送したらどうでしょう?その人は批判的で厳しい人と印象がつきますよね?

この番組の事ではなく、たとえニュースでも政府発表でも片方の意見だけを流すようなことをすれば、簡単に民衆を誘導する事は出来ちゃいますよね。しかもその部分はウソでもヤラセでも無いですし。 

制作会社の人はもちろんそんな事百も承知で、それでも面白く演出しないといけないギリギリのラインで戦ってるようには感じました。

さて、それでは「おにぎり」や「パンケーキ」で炎上した時のプロの職人達が悪いのでしょうか?やっぱりそれも違います。

実は僕が出演した時、本当に多くの知り合いやお客様から「見たよ〜」って言ってもらえたんですね。ただ、その後に結構「顔がすごく怖かった!」「やっぱり厳しい事いうよな」「職人のスイッチはいったんやな」とか、全体的には好意的であるものの、どちらかと言うととても怖い分類のイメージになってました。普段はめっちゃ優しいのに(笑)

僕は有名人でも無いし、そこまで酷い事を言ってないので炎上までいきませんでしたが、この延長線上に炎上があると感じました。

どう言うことかと言うと、「面白い番組を作りたい」って言うスタッフの想いってやっぱり伝わってくるんです。あの場に出てくるシェフの人達って基本は苦労して成功した人が多いと思うので余計に分かるんだと思います。その気持ちが分かってしまった以上出来るだけ協力してあげよう的な気持ちが出るんだと思います。もちろん全員そうだと言うわけではないでしょうけど。

バラエティでなく、業界のコンテストの審査ならコメントに面白みとか必要ないのでいいかも知れませんが、TVなのである程度パンチの効いたストレートな表現とか、逆にすごいと思った時も全身で表現した方が盛り上がるやんって空気感はあるんですよね。そこには嘘も誇張も無いんですけど、盛り上がればいいなと言う気持ちがあるなんかすごく微妙なんですけど伝わりますかね言葉って難しい

だから空気を読めるサービス精神の豊富なシェフが、ハッキリした意見を言う。編集するスタッフはやっぱりその発言は面白かったりするので、そこをクローズアップする。そこでバランスが少しでも狂うとクレームが出て炎上騒ぎになる。

そんな感じがします。

ご覧になってる方もあくまでも良い意味でバイアスかけて「コレってTVだから」って一歩引いて見ると、逆にもっと面白く見れるかも知れませんね。

ところでこの番組で7人の審査員が6人「合格」を上げて1人だけ「不合格」って上げる時ありますよね?

そんな時、この審査員、味わかってるの?とか思うって聞いたことあります。当然そう思いますよね。僕もやらかしました

出演する前はそう言う事になったら恥ずかしいよな〜って「多数派が正しいと思いこむ日本人」丸出しでしたが、でもでも実際現場にいてるとそれも又違う事が分かるんです。

単純にプロの職人達の見てるポイントが違うんです。だから現場にいてるとほんと楽しい。こんなにみんなが色んな視点でお菓子を見て、良いところも悪いところも言ってる。僕自身どんだけ勉強になったか。全ての審査するお菓子に対して全ての審査員が意見を言ってます。それを企業の担当者が真剣に聞いている。

僕も質問したりしましたが、職人でも無いその担当者の熱意と知識には感動しました。本職で無ければ絶対知らないような事も研究してるんですよ担当者は。だからこそその商品の良いところも欠点も指摘してくれる審査員の言葉に真剣に耳を傾けてます。ほぼ休憩時間が無い7時間の収録を立ちっぱなしで!だから涙も出るし喜びも人一倍なんですよね。

だから地上波では当然無理ですが、YouTubeとかでノーカット版を放送したら、一般の人よりプロが面白い❗️って見ると思います。

長々と書きましたが、誰かが悪いって事ではないし、ましてや出演したプロの方々は何の責任もなくむしろ真剣に仕事をしただけの事です。

もちろん編集される方はその辺も十分考慮して下さってるのは重々承知してますが、なんかあったらフォローしてあげて下さいってね〜って思います。普段の業務を差し置いて頑張ってTV出て結果炎上して店閉める事にでもなったら、血を吐くほどの努力が無駄になりますから。

クレーム投稿される方ももう少しお手柔らかにして頂けるとみんな笑顔で丸く収まるかなって感じます

ただの個人の感想でした

ジョブチューン 〜アノ職業のヒミツぶっちゃけます!|TBSテレビ

●松田なんで店をつくったのか? https://w-anan.jp/about/

 

第11回小学生和菓子コンテスト2022 受賞者のお菓子

受賞者の40の作品をあん庵の職人たちが作りました。
応募作品と見比べてみてくださいね(^^

第11回小学生和菓子コンテスト2022 全ての応募作品

全ての応募作品です
今年は157作品が集まりました
このうちの40作品が入選しました。

選考方法は名前を隠してあん庵の従業員による投票形式で、絵の上手い下手ではなくてこんなお菓子があったらいいなって気持ちがいっぱいの絵を基準にしました。

参加してくれたみんな、ありがとうございました。

 

第11回小学生和菓子コンテスト2022 受賞者と記念撮影

受賞者の皆さんと作った職人との記念写真!

お子さんもウチの職人も良い笑顔(^^♪

※すべての参加者は撮影しておりません。
※保護者の方の了解は得ています。

堺市の和菓子屋特集に掲載されました

あん庵は本店が羽曳野市で、富田林市にも店舗があります。ところが今回堺市の観光協会の発行するパンフレットに掲載されました。堺市周辺の和菓子屋と言うことで紹介されました

堺市には和菓子の名店が多く、その紹介される冊子に掲載された事は非常に光栄です。関係者の皆様、ありがとうございます。

堺市は世界遺産登録された百舌鳥古市古墳群において藤井寺市や羽曳野市も観光客を呼ぶ活動が盛んになってます。3市とも盛り上がったらいいですよね〜

この写真大好きです(*^^)v

製菓学校で講習

製菓学校での講習会☺️

毎年行かせて頂いてます成蹊短期大学。キャンパスも広くて綺麗。教員の方も丁寧で親切です。大分前になりますがご縁があってさせて頂いてます。

いつも熱心なんですが、今年のクラスは特に熱心で、丁寧に上手に作ってくれました
クラスによってカラーって色々違うもんだと感心させられました

今年は和菓子屋に就職が決まった子もいて益々嬉しくなりました。若い世代に興味を持ってもらいたいですね

和菓子講習会in高鷲中学校

今日は高鷲中学でPTAの皆様対象で和菓子講習会をさせて頂きました。

皆さん明るくてすごく楽しんで頂けた感じです校長先生と教頭先生も参加してくださりありがとうございました

ハロウィン仮装大会2022

毎年200人以上が参加してくれるハロウィン仮装大会。

僕も毎年色々変身させてもらってます。

ジョニー・デップから始まり、マリオから東京リベンジャーズのドラケンまで。そして今年は呪術廻戦の五条悟!になりました。五条ファンからは石投げられそうですが、そんなこともなく無事終わりました。

社員の子も楽しそうにしてくれました(^^♪

ハロウィンも本当に日本文化に根付いてきましたね(本来とちょっと違う所もありますが大丈夫!)

 

20年前のアルバイトちゃんが来てくれた

あん庵が出来て20年経つのですが、オープン年に一番最初にアルバイトしてくれた子が2人いるのですが、そのうちのTちゃんが家族で尋ねてくれました

何度か来てくれたし、FBでも繋がってるので何となくは見てたのですが、改めて会ってみると容姿も明るさも当時のままで、全然変わってないのにビックリ!でもいいお母さんになってました〜

当時のアルバイトメンバー、Mりん、T君、Nちゃん、Tさん、仕事終わってから良く飲みに行ってましたね
あんなにバイトの子と飲みに行ってたのってこの時が一番かも

今アルバイトしてくれてる子や社員の多くはこの時代に生まれた子なんです時代の流れの早さに驚きながら20年も経って来てくれるって本当に嬉しいです〜感謝

古いお札を出すお客様!?走ってくるバイト。

大学生のアルバイトが血相変えて「社長〜お客様が古いお札を出されたんですけど、これって使えるんですか?」って走ってきました。
古いお札???
聖徳太子か伊藤博文?
いくらなんでも板垣退助はないだろうって思って良く見ると、なんと!
そこには2000円札が!
まさか、2000円札とは想像もしてなかった。
あとで「大丈夫、ちゃんと使えるよ」と教えてあげたのですが、隣で聞いてた2年目の男の子も「僕、見たことないです」って。
そうなんです。確かに発行は2000年で、一時はコンビニATMなどで大量に出回ってたものの、ここ数年はほとんど見かけることもなくなってましたが、若い子にとったら見たことのない「古いお札」のジャンルになるんですね
あと2年で渋沢栄一がデビューしますが、言うてる間に「福沢諭吉のお札って見たことないです」っていうZ世代以降の若い人が出てくるんでしょうね〜
まぁ、もっとも、その頃にはデジタル円やイーサリアムなどの暗号資産が主流になって、「えっ!お金って紙で作ってたの?」なんて言われるかもしれませんが
あん庵のこだわり https://w-anan.jp/about/

今日の嬉しかったお客様 水無月編

学校の先生が来られて「水無月」をお買い上げになりました。
と、言うのも生徒に「水無月」というお菓子の説明をされたらしいのですが、やはり現物を見るのが一番だという事で。

いやぁ、嬉しいですね。

和菓子に限らず日本の文化や、正しい歴史、日本人としての誇りを学校で教えるという至極当然当たり前のことが、カリキュラムの中でどれだけ重要視されているのか?
少なくとも僕が小学校の時(40年ほど前!)はあまりそんなこと無かったような気がします(僕が覚えてないだけかもしれませんが・・・)

英語がどれだけ話せるようになっても日本文化を知らなければ会話に困るという話はよく聞きます。
むしろ海外の人の方が日本文化を良く知っている場合もあります。

もったいないですね~

英語やダンスも大事ですが、それより前に茶の湯や茶道を学んだら子どもたちの考え方も変わるのでは?って思います。
僕も茶道を習う前の茶道に対するイメージは、とにかく作法を覚えないといけない難しいものって思ってたんです。
でも習い始めるとそれが間違いで、「相手の事を考えて可能な限りおもてなしをしようとした結果それが作法の形になった」という事が分かりました。
(ざっくりですみません・・・)

作法ありきで、人はそれに合わせなさい!ではなく、どれだけおもてなしをして楽しんでいただけるかなんですね。
その精神が小学校の時から自然に身についたら良いと思いません?
世界中で日本にしか出来ない教育だと思います(^^♪

今日の水無月お買い上げされた先生の授業を受けれる生徒さんはきっと喜んでると思います。

●松田なんで店をつくったのか? https://w-anan.jp/about/

名前で感じる和菓子の風情:農林水産省 (maff.go.jp)

あん庵創業20周年を迎えて

早いもので独立開業してから20年が経ちました。本当に昨日のことのようで、全く20年も経った感じがしないのですが時は確実に流れていっています

今年入ってきた新入社員は自分の息子よりも6歳も年下ですし、初めて外国籍の新卒も採用しました。

さて、20年前ってどんな年だったかと言うと、日韓同時開催FIFAワールドカップが開催されたり、千と千尋の神隠しがベルリン映画祭で賞を取ったりした年です。
携帯電話は30万画素程度のカメラが搭載され、マクドナルドが59円のハンバーガーを発売し、まだブラウン管テレビが主流でした。
世界ではイラクやパレスチナの問題があり、ユーロの現金が流通したのもこの年でした。国内ではデフレ下で日経平均が8,600円台になりました。
「ベッカム」「タマちゃん」が人気になり、「讃岐うどん」「ハリーポッター」が大ヒットとなりました。
今年の新人はこの出来事全て知らない訳ですね~。

その2002年の3月に富田林市の喜志駅と言う駅の近くに15坪ほど大きさの小さな和菓子屋を始めました
売り場も作業場も工房も喫茶も全てが詰まって15坪だったので本当にこじんまりとしたアットホームな感じのお店でした
お客様のオーダーをその場で作り喫茶のカウンターで提供すると言うスタイルも取り入れました。
逆に今はやりたくてもなかなかできないことなので、またやってみたいと言う気持ちはありますね

そしてお客様もそうなんですが数多くの従業員や周りの人に助けられここまで来ました

 

業界の素晴らしい方との出会いや業界以外でも尊敬できるたくさんの方にお会いすることができました
菓子業界の活動も高校生対象のイベントや海外での和菓子の普及活動などこの業界ならではの様々な活動ができました

 

百貨店さんなどにもたくさん声をかけられましたし、いろんな人とコラボレーションも出来ました。
お店的には20年経ってもそんなに大きくなりませんでしたが、記憶に残るようなお菓子をいっぱい作れたとは思ってます

自分自身仮に死ぬまで健康であるならば、あと20年ぐらい頑張れるかもしれません。と考えると今が折り返し地点です。
これまでの20年で本当に価値観と言うものが大きく変わりました。そしてこれからの20年もさらに加速度的に価値観が変化していくことでしょう
過去を学ぶことで未来が見えてきます。歳は関係なくこれからも勉強して、この先の20年も楽しく仕事をしていきたいと思ってます。

今後ともよろしくお願いいたします。