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和菓子と関係ない話。でも実は関係あった話。その⑥写真編

騙し騙し20Dを使っていたのですが、3回位故障してその3回目修理に出す時さすがに「ちょっとこれは古いですね」って店の人に言われました。そうなんです多分もう修理を受け付けてくれなかったか、かなり高額になったかのどちらかだったと思います。いいかげん諦めて新しいのを買うことにしました。

その当時デジカメで一番困ってたのは今までの感覚のサイズ35mm(フルサイズ)が当たり前すぎて、APS-Cとか、1型とか、マイクロフォーサーズとか言われても焦点距離の感覚がわからないのです。例えば35mmサイズではいわゆる標準レンズという焦点距離が50mmと言うレンズがあるのです。人間の視野に一番近いからそうなったとか、ライカが作ったのが50mmだったとか色々ありますが、何しか標準レンズは50mmで覚えてたんですね。(ちなみにこれは片目の画角と言われてまして、両目で見た時の画角に近い焦点距離35mmが標準っていう人もいます)

ところが同じ50mmの焦点距離のレンズでもAPS-Cなら焦点距離が見た目75mmになるのです。なぜなら撮像素子の面積がフルサイズはAPS-Cの1.5倍(Canonは1.6倍)あるからです。マイクロフォーサーズなら2倍違うので焦点距離は見た目100mmになるのです。
これがいわゆる「35mm換算」の焦点距離ってことなんです。

いやいや、昔だってハーフサイズがあったし、中判なんか4.5×6、6×6、6×7と様々だったし一緒やんって言われそうですが、それらを使う人はハイアマチュアかプロだけだったので、その辺の知識は十分にあったので問題なかったと思います。でも今はむしろビギナーが使うエリアの話なのでやっぱりややこしいのかなと思います。

ちょっと話が横にそれますが、そもそもAPS-Cって何ですか?って事ですよね。
フィルム時代の終わりかけで、まだデジタルカメラが特殊カメラ扱いで300万画素でも数百万した時代、アナログとデジタルの架け橋としてアドバンス・フォト・システム(APS)ができたのです。

撮影の記録媒体はフィルムのままでしたが、いわゆるアスペクト比が変えれたのです。アスペクト比というのは縦横の比率のことです。今では当たり前の機能ですが、当時としてはやはり画期的でした。
用意されたのは3種類の画角。APS-C. APS-H. APS-Pでした。

35mmサイズは縦横比が3:2(36mm×24mm)に対してAPSーHは16:9 (30.2mm×16.7mm)いわゆるハイビジョンのアスペクト比なのです。そのAPS-Hの両側を切り落として3:2にしたものを、APS-(クラシック)、上下を切り落として3:1にしたものをAPS-(パノラマ)と呼んだのです。又、フィルムに磁気層をつけることによって、今では当たり前のシャッター速度とかのデータを保存できたし、フィルムを使い切る前に途中で別のフィルムに変えることもできたのです。この機能もデジタルの今ではホワイトバランスを変えたりISO感度を変えたり、カメラの設定で当たり前のようにできますが、当時としたら画期的だったのです。

そのAPS-Cの画角に近いっていう理由で、デジタルカメラには「フルサイズ」のやや小さいフォーマットとしてAPS-Cという名前が存在するのです。デジタル一眼の黎明期はAPS-Cの他にもAPS-Hのデジカメも存在してましたね。そのころは今のCMOSセンサーではなく、CCDを使ってたりもしましたし。振り返ると面白いです。

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七十二候・第四十三候】草露白(くさのつゆしろし)

この頃は重陽の節句というものがあります
5節句の一つで菊の節句ともいわれています。
因みに五節句とは

人日(1月7日)
上巳(3月3日)
端午(5月5日)
七夕(7月7日)
重陽(9月9日)

で、過去にも触れましたが又それぞれ説明していきたいと思います。

重陽の節句と言うのは、前述した通り菊の節句なのですが、古く宮中では 重陽の節句の前日の夜に菊の花に綿をかぶせたんですね。それで綿の方に菊の香りを移すんです。そして日が開けて重陽の節句の9月9日に、その綿で身体をぬぐうと無病息災になるという風習だったんですね。だからこの菊に綿を乗せるフォルムをモチーフにした上生菓子「着せ綿」は代表的な秋のお菓子なんです。本当になんとも可愛らしい形です。

 

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和菓子と関係ない話。でも実は関係あった話。その⑤写真編

6月以来書きますが、まだ続きがあったんですねぇ。(6/7のブログ参照)

2000年になる前はデジタルカメラといえば40万画素とか 80万画素とかで、プロ機を目指す数100万のコンセプト機でも300万画素とか800万画素でした。しかもCCDが主流で値段も安くても100万円とか300万円とかだったと思います。当然プロからは酷評でとても使い物にならないと。でも例えば報道関係なんかは写りももちろん大事ですが「確実に撮る」と言うことと写真を媒体に載せるまでの「スピード」が命です。そう言う意味ではデジタル媒体はメモリーさえ大きければ36枚のフィルムのくくりの何倍も交換なしで取れると言うこと。そしてデータを世界中にリアルタイムで送れると言うこと。新聞ではそこまで画質にこだわる必要がないことなどで初期から使う人は多かったって記者の人に聞いたことはあります。

2000年代になると段々デジタルカメラの性能も上がってきて、僕も和菓子屋を独立した頃だったので、PCを使い始めチラシも作るようになってきた時だったのでいちいち現像してプリントしてスキャンしてなんてやってられません。そこで必要に迫られてデジタルEOSを買いました。800万画素の20Dです。ISOは1600までしかありません。流石にフィルムカメラからデジタルカメラになるにあたってマウントの変更は無かったのでEOS5で使っていたEFレンズをそのまま流用することはできました。

カメラだから使えるだろうと思っていましたが甘かった。もうフィルムとデジタルは別の機械と化してたのです。

カメラは光を取り込んで印画紙に写し込む装置です。それを制御するのはシャッター速度と絞りです。被写体にピントを合わせて主題をはっきりとさせます。パンフォーカスならピントすら合わしません。すなわちシャッター速度と絞りだけ理解しておけば大体の写真は撮れたはずなのです。

それがISOがいじれることで露出の概念が三つ巴になり、今までフィルム自体やフィルターで調整してたホワイトバランスの概念が入り、ピクチャースタイルを選び、手ぶれ補正のルールができ、フィルムと違いずっとその場に固定される撮像素子の扱いがシビアで、ホコリの除去も必要になりました。そもそも写真の技術だけではダメでライトルームなどの現像ソフトの扱いも必須になりました。

決して悲観的になってるのではなく、できることが果てしなく増えた分、表現が無限大になったので喜ばしいのですが、覚えることいっぱいで大変って感じですね。最初は全くついていけず今見かえすと腕前本当にひどいものでした

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【七十二候・第四十二候】禾乃登(こくものすなわちみのる)

実りの秋!「禾乃登」はそういう事ですよね。

穀物と言うのは和菓子にとって切っても切れない大切なものなんです。お団子もお餅も大福も赤飯もお米でできています。どら焼き、栗饅頭、カステラなんかも小麦で出来ているので穀物ですね。

だから農家とは密接な関係で日本の農業の発展を切に願っています。今のような外国依存の食料自給率では有事が起きた時対応出来ないと思っています。有事というのは何も戦争だけではなくて災害も十分にあり得ることで、それに対応した国づくりをしないと国民が飢えてしまいますよね。

今の日本の食糧の自給率って4割にも満たないのはご存知の通りなんですが、2018年に種子法が廃止され農家は自分の作物からでも次の種を取る事が禁止されました。

ただそもそもですが野菜のほとんどはF1品種で要するに1回限りのものなんです。その種の90%が輸入に頼っていて、農協の大好きな農薬の原料も多くが輸入に頼ってます。なので栽培に必要な種や農薬の自給率も加味して計算すると実質の食料自給率は9%程度という試算も出ています。1割にも満たないんです。

平時でも危ないのですが、有事になると(もうなってますが)種や農薬そのものが入ってきません。その動きはすでに始まっています。
脅す訳ではないのですが、我々一般の人が認識を持たない限りは外国の言いなりの状態が永久に続きかねませんね。

もう一つお菓子に関係ある牛乳のお話し。牛乳はバターやチーズにもなります。数年前にバターが少なくなって業界は大混乱でした。今は回復したのですが、今度はその牛乳の元になる乳牛を1頭処分すれば国から15万円の補助金がもらえることになってます。

そうやって牛乳を原産してるのです。予定では来年度は14万トン減らすようです。え?それだけ余ってるの?
いや、そうではなくて外国から脱脂粉乳やバターを輸入してるのですが、それが牛乳換算で13.7万トンにのぼります。

要するに外国の牛乳を買うために国内の牛乳を原産させるために牛を殺しているのです。それって酪農家さんの事何も考えてないし、将来的に産業が縮小してしまいます。それに輸入できなくなった途端に国内の需要と供給のバランスは崩壊しますよね。牛は3日で育たないですから。

我々も本気で食の情報を得ないといけませんね。

 

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七十二候という季節があります。恐らく今この暦を使ってるのは世界で日本だけだと思います。元々中国から入っては来てるのですが、中国の暦と日本の暦は当然気候や風土の違いがあるので、気象も動物の動きも当然違います。そこで江戸時代初期に「本朝七十二候」と呼ばれる日本独自の七十二候が誕生しました。四季が明確にあるだけでも珍しいのに、それをさらに24もの季節に分けた皆様ご存知の「二十四節気」という季節があります。いわゆる「立春」とか「夏至」とか「大寒」とかですね。その24の季節を更に各3つの季節に分けたものが「七十二候」と呼ばれる季節です。おおよそ5日ほどで変わっていく季節。そんなに変化ある?って思う方もおられると思いますが、それが変わっていくんですね。季節の名前を聞くと「なるほど!」ってうなづける事も多いです。日本の素晴らしい環境とそれを感じとる感性豊かな日本人。日本に生まれてきて良かったと感じる瞬間です。 参考文献日本の七十二候を楽しむ~旧暦のある暮らし~
白井明大(株KADOKAWA)
季節七十二で候。大田垣晴子(株KADOKAWA)
くらしのこよみ
うつくしいくらしかた研究所
くらしを楽しむ七十二候
広田千悦子(泰文堂)
にっぽんの七十二候
角謙二(株式会社枻出版社)
絵で楽しむ二十四節気と七十二候
水野久美(株KADOKAWA)——————————————————————————————————

誰も知らないかき氷の話

もう夏も終わるというのにかき氷の話です

かき氷っていつからあるかご存知ですか?
なんと世界的には紀元前からあるんです。まぁ、そら冬に氷が出来る地域であれば作ることは可能でしょうね。でもかき氷は寒い時期に食べても意味が無い。暑い夏に食べたいですよね。ですので冬に出来た氷を貯蔵庫に入れて夏に食べるという事もしてたようです。

紀元前ではアレクサンドロス大王が雪や氷にハチミツや果汁をかけて食したと伝えられています。中世には、アラブ人やペルシャ人やトルコ人が雪や氷を入れた果汁などの冷たい飲み物を飲んでいたとか。

これがイタリアに伝わり雪・氷にフレーバーを加えた冷菓に変化したようです。いわゆるシャーベット、ジェラートの始まりですね。

日本ではどうでしょう。時は平安時代です。清少納言の「枕草子」に出てくる「削り氷(けずりひ)」がかき氷の最初と言われています。

そこには「削り氷に甘葛(あまずら)入れて、あたらしき鋺(かなまり)に入れたる」という文章があります。意味は「削った氷に甘葛(あまづら)をかけて、真新しい金属製のお椀に入れる」となります。甘葛というのは砂糖のない時代にツタから甘みを取り出したもので、シロップのようなものと思って下さい。だから今でいう「みぞれ」を食べていたんですね。

もちろんこの時代は冷凍庫なんてものはないので、氷室と呼ばれる氷の貯蔵庫を利用して、将軍様や天皇レベルじゃないと中々口にすることは出来ませんでした。

では庶民の口に入るのはいつくらいから始まったのでしょう?
これも想像より古いんです。

因みに日本で電気が使われ始めたのは1882年(明治15年)の事です。
東京・銀座に灯された日本初の電灯には、大勢の民衆が群がりました。発電所が登場し、電灯は東京を中心に急速に普及します。

さらにエレベーターや電車など、電気は動力用としても利用され、次々と発電所が建設されていくのです。

で、それを踏まえて一般大衆向けのかき氷屋さんが出来たのは何と1969年(明治2年)(1862年という説もあり)中川嘉兵衛が横浜の馬車道通りに作りました。江戸から明治に変わってまだ電気も通ってない時代にもう既にかき氷屋さんが出来てたんですね。

もちろんこの頃は天然の氷を貯蔵したものを使用してました。中川は北海道の五稜郭で氷を作り「函館氷」を生産販売しました。その当時の輸入物の「ボストン氷」より品質が高かったようです。

こうして、かき氷というよりは医療用や保存用にも氷は生活に欠かせなくなっり製氷メーカーも増えたのですが、同時に粗悪な氷が増えてきたので食中毒の心配から1878年(明治11年)、内務省は「氷製造人並販売人取締規則」を公布し、氷販売に衛生検査が導入されました。

これにより営業者は、衛生検査に合格した氷の生産地・販売者名を示したのぼりや看板を掲げる事が義務付けられたんですね。この時に配られた旗が現在の氷旗のデザインの元になっているという事です。どこの店にも「氷」って書いた旗ありますよね。それって今でいう保健所の営業許可書みたいなもんやったんですね。なんか面白い。

1883年(明治16年)頃にはアンモニアを使った人工的な氷の製造がはじまり、1897年(明治30年)には機械製氷が主流となります。

またこの頃には氷削機も発明されるのですが、本格的に一般化するのはやはり昭和に入ってからなんですね~

因みに「かき氷」とは「ぶっかき氷」の略語です。エアコンのない時代は特に天国のような気持になったでしょうね。

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【七十二候・第四十一候】天地始粛(てんちはじめてさむし)

二百十日(にひゃくとおか)とは立春から数えて210日目という事なんです。台風が来る日ともいわれていて、「八朔(8/1)」「二百二十日」と並んで農家の三大厄日として知られています。

確かにこの頃は台風が多いですし、朝晩は本当に過ごしやすくなってきましたね。寝やすくなって嬉しいです。

8月最終の土曜日には秋田の大曲で花火大会が行われます。100年を超えるそうです。花火は日本で発明されたものではありませんが、あの美しさは日本独自といっても過言ではないと思います。

なんせ「丸く大きく均一に開く」「色が変化する」という当たり前だと思ってた表現も、世界でも類を見ない特徴を持っていると言われているのです。そして浴衣とうちわで鑑賞するというスタイルは外国人のあこがれでもあるそうですね。

和菓子も元々は中国から伝わってきていますが、現在のような和菓子になったのは日本独自のもので、今の中国のお菓子とはやはり別物になってます。

日本人の特徴として発明するのは苦手(トロンやウイニーも結局は世に出てこれなかったというケースも含めて)でもアレンジするのは上手い。本家本元を抜いてしまうというのは昔からのようですね。鉄砲も、戦闘機も、マッチも、お菓子も、自動車も。

また話がそれそうなので戻しますが、この時期の変化として、入道雲があるとおもったらいつかの瞬間に高い空が見えたりするんです。まさに「天高く馬肥ゆる秋」のまんまです。

日中は暑いですが着実に季節は秋になってます。

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七十二候という季節があります。恐らく今この暦を使ってるのは世界で日本だけだと思います。元々中国から入っては来てるのですが、中国の暦と日本の暦は当然気候や風土の違いがあるので、気象も動物の動きも当然違います。そこで江戸時代初期に「本朝七十二候」と呼ばれる日本独自の七十二候が誕生しました。四季が明確にあるだけでも珍しいのに、それをさらに24もの季節に分けた皆様ご存知の「二十四節気」という季節があります。いわゆる「立春」とか「夏至」とか「大寒」とかですね。その24の季節を更に各3つの季節に分けたものが「七十二候」と呼ばれる季節です。おおよそ5日ほどで変わっていく季節。そんなに変化ある?って思う方もおられると思いますが、それが変わっていくんですね。季節の名前を聞くと「なるほど!」ってうなづける事も多いです。日本の素晴らしい環境とそれを感じとる感性豊かな日本人。日本に生まれてきて良かったと感じる瞬間です。 参考文献日本の七十二候を楽しむ~旧暦のある暮らし~
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【七十二候・第四十候】綿柎開(わたのはなしべひらく)

綿って可愛いですよね。実がはじけて現れるモコモコ。おそらく人間の一番身近にある繊維ではないでしょうか。

夏は涼しく、冬は暖かい。丈夫で水にも強く保湿性もある。衣類になるためにあるような植物です。

僕の住んでる大阪の街はかつて東洋のマンチェスターと呼ばれました。産業革命で発展した巨大都市マンチェスター。そのマンチェスターのごとく発展したのが大阪で大正から昭和初期頃の当時は日本一の都市でした。その中心となったのが綿工業で大阪にはその象徴の綿業会館が現存しています。

モガ・モボ(モダンガール、モダンボーイ)と呼ばれた当時の若者はお洒落で時代の最先端をいって非常に発展した時代でした。終戦後たった10年しか経ってない昭和30年に「もはや戦後ではない」という有名な言葉が示すように戦前のGDPを超えました。(この言葉自体が使われたのは昭和31年の経済白書)逆に言うならば昭和30年レベルの力を戦前の日本は既に持っていたという事です。

戦後は自動車産業が栄え、現在ではも500万人が自動車の関連産業に携わっていると言われています。そのNo.1のトヨタは何の会社でしょう?と言われれば100人中100人が「自動車会社」と答えますが、元々何の会社だったかはご存知でしょうか?

有名な話なのですが、ご存じない方の為に書きますと、元々トヨタは豊田自動織機製作所という織物の機械を作る会社だったのです。そこから自動車に変換したのですが、当時まだ車の時代ではなかった為関連企業も銀行ももちろん社員もひっくり返るほど驚いたし、賛同も得られなかった事と想像できます。でも車産業に鞍替えしてなかったら潰れてた可能性は高かったですよね。

 

 

 

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七十二候という季節があります。恐らく今この暦を使ってるのは世界で日本だけだと思います。元々中国から入っては来てるのですが、中国の暦と日本の暦は当然気候や風土の違いがあるので、気象も動物の動きも当然違います。そこで江戸時代初期に「本朝七十二候」と呼ばれる日本独自の七十二候が誕生しました。四季が明確にあるだけでも珍しいのに、それをさらに24もの季節に分けた皆様ご存知の「二十四節気」という季節があります。いわゆる「立春」とか「夏至」とか「大寒」とかですね。その24の季節を更に各3つの季節に分けたものが「七十二候」と呼ばれる季節です。おおよそ5日ほどで変わっていく季節。そんなに変化ある?って思う方もおられると思いますが、それが変わっていくんですね。季節の名前を聞くと「なるほど!」ってうなづける事も多いです。日本の素晴らしい環境とそれを感じとる感性豊かな日本人。日本に生まれてきて良かったと感じる瞬間です。 参考文献日本の七十二候を楽しむ~旧暦のある暮らし~
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講演会に行ってきました

先日ありがたいことに公演をして頂きたいとご依頼がありました。もちろん快諾させて頂きました。でも実は・・・・

人前で喋るなんて絶対にしたくなかったんです。若い時は。恥ずかしくて。
でも30前くらいから人前で話す事が増えて来ました。もう恐怖だった訳ですが、じゃあ断れば良いんですよ。別に強制されるもんでもないんだから。

そういう時は自分の人格を客観的に見るんです。俯瞰してみて
人前で喋る和菓子職人と
人前で喋らない和菓子職人

まぁ喋らない和菓子職人もストイックで良いのですが、喋ると何かしら伝わるので喋った方がいいかなってそれだけですね。それで聞いてるお客さんのあまり聞いたことのない話が多いので聞いてくれるし、喜んでいただける。喜んでいただけるとこちらも嬉しい。だから苦手だけど一生懸命喋ってます。

そしてやっぱり大阪人なんですかね。笑いを取りに走ってしまう。そこでウケるともう快感。
てか、1度も笑いが起きなければ、もうそれは失敗以外の何物でもないです。芸人じゃあるまいしなんですが、大阪人の血ですね。。

そんなこんなで、あちこちでお話しさせて頂きました。

そして今回は1時間ほど話した後、少し和菓子の練り切りを作ってみました。これは和菓子職人にしかできない領域。和菓子職人にとっては当たり前のことでも、普通の人はあまり見たことがない人が多いので、感激してくれます。
そして同時にインスタライブもやりました。これも沢山の人が見てくれました。感謝。

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苔を育てる話

苔って最近一部の人にめっちゃ流行ってるみたいですね(苔女子?)

もう一つの伊那食品さんのお話でほぉ〜って思った話はその苔を育てる話です。苔って普段あんまり気にしない人の方がきっと多いですよね。育てようとした人はもっと少ないかも。僕も思った事ありません。


ではその苔を会社のある場所に育てようとした場合どうしなければならないか?
まずそれ相応の生やす面積の土地が必要です。土地に1c㎡の余裕もなければ計画断念です。
次に苔の生育に適した環境の場所があるのか?という事です。会社自体は日当たりが良い方が良いかもしれませんが、苔の生育に適した場所を用意しなければなりません。
他にも色んな事が挙げられるかもしれませんが、一番肝心なのは苔をある一定の面積育てようとするには年月が必要だという事なんです。

ある統計では10年後会社がある確率は数%との事。20年後はもうほとんどなくなってるという事です。
皆さんの近くの会社やお店は20年続いてるところばっかりでしょうか?気には止めてませんが次々と新しい会社って出来てきてませんか?その数だけ減ってるという事です。

因みに20年前はスマホはありませんでした。YouTubeもFacebookもありませんでした。逆にポケベルやPHSは無くなりました。あれだけ勢いがあっったレンタルビデオ店はどうでしょう?電球はなくなり信号はLEDになりました。今は内燃機関の自動車がピンチで電気自動車にとって変わられようとしています。

************
※話はそれますが個人的には電気自動車が内燃機関の自動車に比べて特別エコだとは思っていません。二酸化炭素の排出が無条件で「悪」という考え方も疑問はあるのですが、仮に悪だったとして、その二酸化炭素を出さない電気自動車がエコという認しきです
でもね、その電気を生みだす為い発電所で爆大な二酸化炭素を出しているのです。
確かに目の前の電気自動車からは出てないので、いかにもエコですけどね。
それと数年しかもたないリチウムイオンのバッテリーの廃棄をどうするんでしょうか?それぞれにメリットデメリットはあるのに一方的に電気自動車はエコとこうのは首をかしげます。
むしろハイブリッド型の内燃機の方がエコのような気がします。
************

それはそうとして、とにかく20年30年会社を続けるのは当たり前ではなくて難しいのです。
和菓子の世界は老舗が多いイメージでまぁその通りなのですが、それも極々一部の店の話でここ20−30年で店の数って半減してます。地方によっては2/3無くなってます。大手は売り上げを伸ばしているので競争に負けていったという図式ですね。

そういう中、育てるのに何十年もかかるのに苔を育てる目標を掲げるってことは会社がずっと繁栄するぞという意思表示なのです。なんて素晴らしい。事実何十年も増収増益を達成されてます。素晴らしい会社です。

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車は駐車場の遠いところに停める

伊那食品工業株式会社という会社があります。
https://www.kantenpp.co.jp/corpinfo/

何度も訪問させて頂いたことがあって、そのたびに驚かされています。
驚くことはいっぱいあるので書ききれないので、2つだけ抜粋。

一つはこの会社、長野県伊那市にあるのですが、会社は山の中にあると言っていいようなロケーションです。広大な土地に社屋やショップ、レストランや美術館が立ち並びます。無論この伊那食品さんが運営している施設なのですが当然駐車場もかなり広いのです。

社員さんはその駐車場の一角に停めることとなるのですが、その際一番遠い所に停めて、お客さんは近い所に停めることが出来るようにしているのです。まぁ普通の感覚ならそうしているお店や会社は珍しくないかも知れません。

ところがこの話は続きがあって、社内の話ではなくて例えばプライベートで何かしらの施設、そうスーパーとか映画館とかそういう所に行った時でも出来るだけ遠い位置に車を停めることを推奨しているのです。多分強制ではないはずですが、多くの社員はきっとそうしてるんだろうなって想像できるような社風です。

理由はご想像の通りです。お身体の不自由な方のために近い場所を空けておくということです。もちろんそんな大型施設の駐車場は身体障害者用のスペースは設けられてはいます。でも身体障害者ではなくてもなるべく歩く距離を短くしたい人はたくさんいます。高齢の方も妊婦の方も怪我をされてる方もそうですよね。だったら健康で特に歩く事に不自由のない人は歩けばいいんだって考え方です。

僕も本当に同感で普段運動不足と言いながらほとんどの人が階段を使わずエスカレーターを使ってます。フィットネスジムに通う位なら歩けばいいのにって思ったりもします。こんなことを言えば10階でも階段で登れよとか5kmでも歩けよとか上げ足を取られそうですが、時間があればそうしたらいいしなければやめればいいし、ただそういう選択も出来るという意識が大事だということを言いたいのです。

駐車場で一番遠い所に停めたところで健康なら10分も20分も歩くことはなく、せいぜい数分ですので歩ける事に喜びを感じて歩けばいいんじゃないかと思うだけですね。たがらすごく共感しました。

続く。

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【七十二候・第三十九候】蒙霧升降(ふかきりまとう)

深い霧がたちこめる頃という事でこの季節の名がついたとの事。春は「霞」で秋は「霧」なのですね。
猛暑は続いてますが、朝晩は少し穏やかです。TVのニュースばかり見ていると砂漠の真ん中で住んでるような気持になりますが、冷静に判断していきたいですね。住んでる環境も人それぞれ違うのですから。

さてこの頃の旬の花と言えば「水引」という花があります。上から見ると赤く、下から見ると白く見えるという面白い花です。
細長い花穂に点々と花がついてるので熨斗紙に使われる(最近はほとんど印刷ですが)あの紅白の水引に似てるという事でこの名がついたようです。

そうなんです。文化としての「水引」が先で、植物の「水引」の方が後なんです。

同じような感じでメガネやカメラの「レンズ」ってありますよね。そしてフレンチなど西洋料理を食べるとよく「レンズ豆」というまさしくレンズの形をした豆が出てきます。

ホンマ、レンズみたいな豆やなぁって思ってると大間違い。こちらはレンズ豆の方がずっと先にあったもので、いわゆる「凸レンズ」が発明されたときに「なんかレンズ豆に似てる!」ってなって「レンズ」という名前になったそうです。こちらは植物が先!

名前の由来って面白いですよね

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七十二候という季節があります。恐らく今この暦を使ってるのは世界で日本だけだと思います。元々中国から入っては来てるのですが、中国の暦と日本の暦は当然気候や風土の違いがあるので、気象も動物の動きも当然違います。そこで江戸時代初期に「本朝七十二候」と呼ばれる日本独自の七十二候が誕生しました。四季が明確にあるだけでも珍しいのに、それをさらに24もの季節に分けた皆様ご存知の「二十四節気」という季節があります。いわゆる「立春」とか「夏至」とか「大寒」とかですね。その24の季節を更に各3つの季節に分けたものが「七十二候」と呼ばれる季節です。おおよそ5日ほどで変わっていく季節。そんなに変化ある?って思う方もおられると思いますが、それが変わっていくんですね。季節の名前を聞くと「なるほど!」ってうなづける事も多いです。日本の素晴らしい環境とそれを感じとる感性豊かな日本人。日本に生まれてきて良かったと感じる瞬間です。 参考文献日本の七十二候を楽しむ~旧暦のある暮らし~
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秀吉の茶室

太閤秀吉と言えば説明の必要がないくらい著名な歴史上の人物ですね。逸話は枚挙にいとまがないですが、その一つに茶の湯に興味があったことも有名です。

 

正に茶の湯を完成させたと言っていい千利休もこの時代の人で、秀吉とも交流が深かったですね。最終的には武士でもない千利休に切腹を命じるということになりましたが、政治、社交、教養の場で茶の湯というのは重要な位置づけだったようです。

 

秀吉が作らせた黄金の茶室は、金箔張り、広さ三畳、組み立て式の茶室です。ワビサビの茶の湯からすると対極にある下品なものととらえられることも多いですが、近年の研究では華やかさも利休の一面だと論じられたり、利休が関与しなかった訳がないと主張する関係者もいます。

 

そんなミステリアスな茶室。大阪にはぴったりかも知れません。

中の羊羹は濃茶をイメージした文字通り濃い抹茶味で、表面6面には金箔を貼りつけています。

 

そして、販売価格はなんと1個2,000円!

1寸(3cm)角の羊羹にしては破格の価格です。

 

普段はお菓子の原価に触れることはあまりないのですが、言い訳をさせて下さい(笑)

決して暴利を貪っているわけではありません。

「金」って本当に高いのです。。。何とか薄利で頑張ってます。

 

発売したら以外にも!よく売れるんです。

本当に全く売れない覚悟もしてたのですが、お一人で6個お買い求めになったりと、お使い物にされているようです。ありがとうございます。

 

またまた面白い羊羹を開発していきたいですね!

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近松門左衛門・曾根崎心中

学校で習ったことをこのあるの覚えている方は多いことと思いますそうです。あの曽根崎心中。六本木心中じゃないですよ。それも古いか。

 

梅田の曽根崎でお初天神と呼ばれる神社(露天神社)がありますが、その名前の由来が曽根崎心中の登場人物お初と徳兵衛のお初からきています。

詳しい内容はご存じの方も多いので割愛させていただきますが、要するに、最後そのふたりが心中をするのです。(ざっくり過ぎ・・・)

 

これ実は実話なんですね。この実話を江戸時代に近松門左衛門が人形浄瑠璃で発表しました。のちに文楽・歌舞伎の演目にもなりました。流行りすぎて当時の若者の間では心中そのものが流行ってしまったという事です。これに手を焼いた江戸幕府は心中者の一方が生存した場合は極刑を申し渡し、双方生存の場合は晒し者にしたのち市民権を奪い、心中死した遺体は親族に下げ渡さず一切の葬儀を禁ずるなど大変厳しい処置をしました。

 

僕はだいぶ前に映画で見ましたね。梶芽衣子さんがお初で徳兵衛は何と宇崎竜童さん。脇役には橋爪功さんや井川比佐志さんなど演技派揃い。

 

思いつめてお互いの首を切り心中するなんとも切ない情緒のあるお話で、30年以上前に1回しか見ていないのに梶芽衣子さんの目力のある演技が脳裏に焼き付いてて鮮明に覚えています。ラストシーンはお互いの首筋を短剣で切り鮮血が飛ぶのですが、そこにグロテスクなものはなく、どうしようもない人間の切なさ、愛、喜びさえ感じました。

 

三国志演義の桃園の誓いにもある「生まれた日は違えども死すときは同じ時」まぁ男同士と男女では同じ言葉でもニュアンスは違うでしょうが、その時は僕も若かったのでなるほど考えたこともなかったなぁって思いました。

 

何しか今回はそれを題材にしようと思いました。

「和菓子で世界を幸せに」とか「お菓子を食べたら笑顔になる」って普段から言ってるので、フィクションとはいえ人の死をイメージしたお菓子を作るなんてもちろん初めてです。一歩間違えばアブナイ奴ですが、そこは文学なんですよね。あまり違和感はないと思います。

 

血を連想させる赤いものはラズベリーとかクランベリーとかビーツとか色々あると思いますが、今回は自分の一押しである「トマト」と「マンゴー」の素材を選びました。

 

いや、合うんですよね。トマトとマンゴー。ウチではトマンゴーって呼んでますが。

 

その羊羹をあらかじめラストシーンの様にカットしました。上には美容にも良いとされている「真珠粉」をちりばめました。もちろん「心中」だけに「真珠」なんです。。。

ま、ウンチクはともかく美味しいのでぜひ食べてみて欲しいと思ってます。

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【七十二候・第三十八候】寒蝉鳴(ひぐらしなく)

ひぐらしって僕の住む地域にはいないんです。ちなみにミンミンゼミもいません。クマゼミが一日中ギャーギャー鳴いてます。アブラゼミもたまにいるような気がしますが、同じようなもんです。ギャーギャーの鳴き色は暑さが5割り増しになりますね(笑)

憧れるのはミンミンゼミのミーンミーン。そして断トツで好きなのはヒグラシのカナカナカナカナの声。風鈴のようで少し暑さも緩和されるような気になります。ヒグラシの鳴く地域の人は羨ましいですね。

でも何でしょうね、一応ヒグラシの分布図は全国的だし、九州以外は平地でも普通にいるはずなのにね。鳴く条件は決まっていて、「薄暗い」「涼しい」の条件がそろえば鳴くとの事。だからやっぱり森の方に多いのカナカナカナ。

秋に近付くとツクツクボウシが鳴きますね。これはどの地域でもそうなんでしょうか?秋だなぁって思います。

昔疑問に思ってた事があるんですが、セミって違う種類で交配って出来ないんでしょうかね?新種の鳴き声が出来たりしたら面白いんじゃないかと。

でもセミの種の違いって遺伝子レベルで違うみたいなので、犬が違う種類とのmix犬を産むのとは全く違うようですね。交尾は出来ても子孫が生まれることは無いのです。

まぁ人間の勝手でそんな無粋な事は言いなさんな。ってことですね。自然が一番。

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知らんけど。かん 味の説明(ネタバレ注意)

2022年の流行語にもなった「知らんけど」

関西の人にとっては当たり前のように使ってきた言葉も他の地域からしたら「面白い!」となる。

それが又面白い。そんな「大阪感」を羊羹にしたくて「知らんけど。かん」は出来ました。

食感も「知らんけど」
味も「知らんけど」

色は真っ黒。デトックス効果のある「竹炭」を使用。そのなかに7色に散らばった煉切を仕込んで、色から味を推測できないようにしました。

実際に食べたら「ええ!」って言う感じ。その色から想像も出来ない味が飛び込んできます。

もちろん原材料表示をしているのでそれを見たら答えが分かります。そして多くの人がその答えを見て・・・

やっぱり「知らんけど・・・」とつぶやきます。
そしてその次に「分からんけど美味しい!」って叫んでくれるのです。

知らんけど。

 

さてさて、その答えなのですが、答えは「カラマンシー」です!

もちろんご存知の方は多くいらっしゃるとは思うのですが、やはり日本では一般的ではないのでご存じない方の方が多いみたいです。カラマンシーはフィリピン、台湾などの東南アジアでは一般的な果実で大きさはキンカンやスダチのようで、味は温州ミカンに近いです。程よい酸味と甘さで料理にもよく使われるのです。そう、日本料理でもスダチやカボスやレモンを使うような感覚です。

果実は日本では中々手に入らないのですがピューレなどはあります。ぜひ「知らんけど。かん」を食べてカラマンシーを堪能してくださいね!

 

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【七十二候・第三十七候】涼風至(すずかぜいたる)

毎日暑いのですが、何となく朝晩は涼しくなってきてませんか?

いや、涼しいとまでいうと違うかもしれませんが、暑さの小休止というか、和らぎというか。

暦では立秋。もう秋なのです。暑いけどね。

 

小学生の頃はこの時間を利用して毎朝6:30にラジオ体操に通ってました。コンプリートすると何か粗品を貰えたような記憶があります。今はこの風習無くなったのでしょうか?大人たちがしているのはよく見かけますが。

 

そういえばホノルルマラソンに参加した時の事。未明にツアーの人がアラモアナショッピングセンターの屋上(駐車場?)に集まり、その数数百人。もしかしたら1000人位いたかもしれません。とにかくすごい人。

 

そしてツアー会社の係員が注意事項を述べた後、ハワイの地で流れる馴染みのある音楽。そうそれはまさしくラジオ体操の音楽でした。

年齢層は老若男女問わずでしたが、音楽が始まると勝手に体が動き、まるで軍隊のように全員一致で踊り出すのです。リハーサルもなく本当にピッシリと寸分たがわす体操するさまを見て、みんなその綺麗さに噴き出してました。

そして、ラジオ体操第2になったとたん、グダグダ(笑)。そうです、第2はうろ覚えの人が多数で全くそろわないという。日本人あるあるでした。

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モノクローム

写真は撮っても撮られる事はあまり無いのですが、先日業界の先輩方と飲みに行った時に撮って頂きました。
モノクロームは大好きです
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【七十二候・第三十六候】大雨時行(たいうときどきふる)

一年で最も暑いこの時期。本当に暑いですね。

同時に台風が増えてくるのもこの頃からですね。

 

台風というと昔は「ミリバール」という単位で気圧を表現してましたが、今はもう「ヘクトパスカル」しか知らない世代の方が多くなったと思います。変わったのは1992年という事なので記憶にあるのは40代以上かも知れませんね。

 

理由は国際基準に合わすという事らしいのですが、国際度量衡(どりょうこう)総会が決めているそうで、僕の大好きな尺貫法(1尺=30.303cm、1貫=3.75kgなど)も1958年末限りで廃止されています。

お菓子の世界ではメートル法よりも尺貫法の方がはるかに使いやすいのですが、尺定規も逆に今でこそネットで買えますが、ネットの無い時は探すのに苦労しました。

 

ご家庭でもお酒はやっぱり1升瓶単位ですし、お米だって「合」で量ってると思います。
アメリカなんて今でもインチやマイルやガロン使ってますし、イギリス?ではポンドやヤード使ってますよね。もちろん国際的に単位が違うとややこしいので統一するのも意味は分かりますがお菓子の世界の尺貫法はとらないで~って思います。

 

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七十二候という季節があります。恐らく今この暦を使ってるのは世界で日本だけだと思います。元々中国から入っては来てるのですが、中国の暦と日本の暦は当然気候や風土の違いがあるので、気象も動物の動きも当然違います。そこで江戸時代初期に「本朝七十二候」と呼ばれる日本独自の七十二候が誕生しました。四季が明確にあるだけでも珍しいのに、それをさらに24もの季節に分けた皆様ご存知の「二十四節気」という季節があります。いわゆる「立春」とか「夏至」とか「大寒」とかですね。その24の季節を更に各3つの季節に分けたものが「七十二候」と呼ばれる季節です。おおよそ5日ほどで変わっていく季節。そんなに変化ある?って思う方もおられると思いますが、それが変わっていくんですね。季節の名前を聞くと「なるほど!」ってうなづける事も多いです。日本の素晴らしい環境とそれを感じとる感性豊かな日本人。日本に生まれてきて良かったと感じる瞬間です。 参考文献日本の七十二候を楽しむ~旧暦のある暮らし~

白井明大(株KADOKAWA)

季節七十二で候。大田垣晴子(株KADOKAWA)

くらしのこよみ

うつくしいくらしかた研究所

くらしを楽しむ七十二候

広田千悦子(泰文堂)

にっぽんの七十二候

角謙二(株式会社枻出版社)

絵で楽しむ二十四節気と七十二候

水野久美(株KADOKAWA)——————————————————————————————————

PLの花火はいつ復活するのかな?

コロナに入ってからずっと中止になっていたPL花火。正式名称は「教祖祭PL花火芸術」であくまでも教祖祭であって単なる花火大会ではありません。でも実際は周辺地域の夏の風物詩となっていました。

僕もこの辺り出身なので物心ついてからずっと見ていますが、最後のあの照明弾のような町全体が明るくなるスターマインは強烈でしたね。

でも一番記憶に残ってるのは昭和57年の台風の大雨の中の開催ですかね。なんせ花火が全く見えない。何となくいつもの方向が明るくなってて音だけが鳴り響いている。子どもながらに次の日すればいいやんって思ってましたが、大人の事情があったのとやっぱりこれは遊びじゃなくて教祖祭なんだなと思いました。

何かPL教の信者みたいに書いてますが、残念ながら全く違います。でもずっと花火を見させてもらったのと、世代的にPL学園の甲子園での活躍は強烈に記憶に残っています。桑田真澄さん、清原和博さんは僕の2コ上の先輩で(もちろん高校は違いますが)当時写真部の僕は近鉄バッファローズの本拠地だった藤井寺球場に写真を撮りに行きました。今でも高校3年生の桑田/清原を撮ったフィルムは残ってます。

話飛びまくりますが、藤井寺球場は無料開放を良くしてたのでお金はないけど時間の有る学生時代によく写真を撮りにいってました。横浜高校からロッテオリオンズにいった愛甲猛さんが投手時代にブルペンで投げてる写真も撮りましたね。その後落合博満さんを師匠として打者に転向したのでもしかしたら貴重かも知れません。

清原が西武に入る前のアイドルは秋山 幸二さん。藤井寺球場で唯一観客が埋まる西武戦(西武戦はタダにはならない)でホームランを打ったのかどうかでバク転?バク中?してたのを思い出します。試合外では阪急ブレーブスのブーマーが近鉄との試合後藤井寺球場で日本人の女の子とデートの待ち合わせしてた現場にも遭遇したり。まぁどうでもいい情報ですが。(話が古い・・・)

なんにせよ、PLの花火はぜひ復活して欲しいと願います。

過去に撮った写真を貼っときます。

 

 

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【七十二候・第三十五候】土潤溽暑(つちうるおいてむしあつし)

」って読めます?

恥ずかしながら読めませんでした。「溽い」と書いて「むしあつい」と読みます。

「蒸し暑い」としか書いたことないですが、なるほど1字で済むならこれからは「溽い」と書こうかな。でもきっと誰も読んでくれないよね。

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七十二候という季節があります。恐らく今この暦を使ってるのは世界で日本だけだと思います。元々中国から入っては来てるのですが、中国の暦と日本の暦は当然気候や風土の違いがあるので、気象も動物の動きも当然違います。そこで江戸時代初期に「本朝七十二候」と呼ばれる日本独自の七十二候が誕生しました。四季が明確にあるだけでも珍しいのに、それをさらに24もの季節に分けた皆様ご存知の「二十四節気」という季節があります。いわゆる「立春」とか「夏至」とか「大寒」とかですね。その24の季節を更に各3つの季節に分けたものが「七十二候」と呼ばれる季節です。おおよそ5日ほどで変わっていく季節。そんなに変化ある?って思う方もおられると思いますが、それが変わっていくんですね。季節の名前を聞くと「なるほど!」ってうなづける事も多いです。日本の素晴らしい環境とそれを感じとる感性豊かな日本人。日本に生まれてきて良かったと感じる瞬間です。 参考文献日本の七十二候を楽しむ~旧暦のある暮らし~

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季節七十二で候。大田垣晴子(株KADOKAWA)

くらしのこよみ

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くらしを楽しむ七十二候

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絵で楽しむ二十四節気と七十二候

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