茶の湯

毎週お茶のお稽古に勤しんでいます。
和菓子屋にとってお茶の世界は切っても切れない世界なのですが、和菓子職人で茶道を習ってる人って意外と少ないのです。というか、実は少数派ですね。

という僕も若いころは茶道を習うという余裕は全くありませんでした。ただ茶席菓子のご注文をよく受けていたので、やはり知っておかなければならないと思い10数年前に習い始めました。

習い始めて分かったことは、茶席は作法ではないということです。いや作法は重要なんですが作法が目的ではないんですよね。お茶を習う前はイメージとして「茶湯は作法の塊」でそれを全部覚えなければならないって思ってたんです。もちろん作法を覚えるのは間違いないのですが、重要なのはどうしてそうしなければならないのか?だったんです。

お客様をおもてなしする際にどうやったらお客様が心地よく喜んで頂けるのだろうか?を考え抜いた結果が作法になっていったんだと思います。気軽にSNSで世界中連絡が取れ合う現在と違って、昔は本当に生きてる間に合えるのがこれで最後かもしれないという一期一会の精神がより強くあったんでしょうね。

お菓子を作る目線でなくお客として頂く側で正座して食べる体験はやはり和菓子職人としては経験しないといけないと感じました。

いや、和菓子職人だけの話じゃないと思います。

学校教育で英語やダンスが組み込まれていますよね。グローバル化になるとそれも又重要なものだと思います。でも海外留学生がよく言ってるのを耳にしますが、仮に英語が話せるようになったとして何を話すかです。

恐らく日本以外の国の人はその国の文化を話します。そして他の国の文化にも興味があり、それを聞いてきます。
日本文化の事を質問されたけど、自分は何も日本文化の事を語れないという話もよく聞きます。

日本人は基本的に学校で日本文化をあまり深く習いません。教育現場に置いて愛国心という言葉もあまり使わない感じです。ですので英語が話せるようになった時に何を話すのかを学校で教えることになればいいなと思ってます。特に茶道はおもてなし、言い換えれば「おもいやり」を学ぶもので、それが道徳の授業にも通じるんじゃないかと思ってます。


コメントを書く

この記事について何か感じたことがございましたら、
ぜひお気軽にコメント下さい。

匿名でもコメントできます。