和菓子の話

和菓子の歴史 その② 田道間守(たじまもり)

田道間守(たじまもり)っていう人の名前を聞いた人はそんなに多くないと思います。僕もこの世界に入るまでは聞いたことがありませんでした。

製菓学校に入ってお菓子の歴史っていうのを習うのですが、最初に出てくる人物ってやはりこの田道間守さんなんです。かの有名な「日本書紀」や「古事記」にも出てくる由緒正しい人なんですよ。

お菓子に関係あるって言うても別に日本最古の和菓子職人って訳ではなくて、何をした人かというと、第11代天皇である垂仁天皇(すいにんてんのう)の命令で不老不死の食べ物を探しに行った人なんです。

不老不死の食べ物?正確にいうと不老長寿の妙薬「非時香果」すなわち橘を探しに常世の国(とこよのくに)に行ったそうで、そこで何と橘を見つけ持って帰ったのです。任務完了!

しかし、時すでに遅し。垂仁天皇は崩御された後で、間に合わなかったのです。悲しみに暮れた田道間守は自害し天皇の後を追ったのでした。

 

もっとも、垂仁天皇は140歳まで生きたという事ですから、不老長寿の実を食べる事もなく十分に長生きしましたよね^ ^(最もこの頃の歳の数え方の概念が現在とは違うという説もあり実際には70歳程ではないかとの考え方もあります)

その橘はお菓子の祖先とされ、橘や田道間守を祀る神社はいくつかあります。(後に出てくる林浄因を祀る神社などの菓子にまつわる神社もあります)

中嶋神社(兵庫)

https://toyooka-cci.jp/tajimamori/

吉田神社(京都)

http://www.yoshidajinja.com/yuisyo.htm

橘本神社(和歌山)

http://www.katuragi.or.jp/wakauma/featured/

林神社(奈良・漢國神社内)

https://kangou-jinja.jp/manju/

橘寺(奈良)

https://tachibanadera-asuka.jimdofree.com/

さてあん庵のホームグラウンドである羽曳野市の「市の木」は「橘」です。羽曳野市は正直知名度は低い(16%(知名度.net調べ))なんですが、歴史ある町で非常にいい町です。たちばなを広める会というものもあり、菓子屋としても誇り高い町です。

たちばなを広める会

https://www.facebook.com/habikino.tachibana/?locale=ja_JP

菓子屋にとって特別な果物。それが「橘」です。

●お菓子作り紹介(和菓子職人あきらYoutubeチャンネル)https://youtu.be/Ol1nHE2v00E

●松田なんで店をつくったのか? https://w-anan.jp/about/

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伊勢神宮にお参りに行く。身が引き締まるよね。

身を清める為?にたまにお伊勢さんに参ります。神社は全て神聖な場所ですがやはり伊勢神宮はその中でも特別というか、涙が出るほど素晴らしい場所、聖地であるというのは説明する必要もない事ですね。

伊勢神宮 https://www.isejingu.or.jp/

 

伊勢神宮には式年遷宮という制度があり、第62回の時の記憶は新しいのですがそれは平成25年だったので既に10年が経っています。20年に一度の式年遷宮なので、もう半分の時が過ぎ、10年後には第63回の式年遷宮が行われます。途中120年ほど中断したりと必ずしも順調に続いたわけではないですが、1300年も続く行事って本当にすごい事です。

世界的に見てもこれほど長く続いている国はありません。皇帝が続いた国はありますが、普通は次の君主が現れた時、前の皇帝や王様は粛清されていきます。見かけ上、皇帝という制度は続いていますが、他人がその地位を奪って皇帝を名乗るという構図となります。

日本は主権が武士に変わった時期も多々ありますが天皇制度そのものは現在に至るまでずっと続いています。それどころか先に書いた「120年の式年遷宮の中断」を再開したのは、織田信長・豊臣秀吉が遷宮費用を献納したためでした。江戸時代もこうした敬神の念は徳川将軍家に受け継がれ、造営奉行に命じて式年遷宮の全面的な協力を命じたという事です。

 

さてさて、伊勢神宮のお話しはもっとしたいのですが、お菓子屋のブログらしくお菓子についても書かなければなりません(笑)

 

伊勢名物のお菓子といえば?

そうですね。赤福餅ですね。(お福餅さんすみません・・・)

和菓子の事を知らなくてもお菓子に興味が無くても「赤福餅」は知ってる人は多いと思います。大阪でもお土産菓子売り上げの常に上位に君臨します。大阪の菓子屋としては悔しいですが、美味しい事には違いありません。それに前回のお伊勢さん菓子博やおかげ横丁などの社会貢献度もすさまじいものがあり、尊敬できる企業の一つです。

 

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和菓子の歴史 その① 古代の菓子

今は、何気なく「和菓子」と言う言葉を使っていますが、案外「和菓子」という言葉ができたのは、最近の話なんですね。要するに、「洋菓子」の文化が入ってくるまでは、お菓子の事は単に「菓子」と呼んでました。

「洋菓子」が入ってくると、単に「菓子」では、どちらの菓子のことかが分からないので、「洋菓子」に対して「和菓子」と呼ぶようになったのです。それは明治時代の話です。最近じゃない?

それではその「和菓子」が今日に至るまでどのように進化していったのか少しずつお話ししていきたいと思います。

 

縄文時代には和菓子の原型と言われるものがあったとされています。木の実を粉砕して、水でアクを抜き丸めたもの。これが団子の始まりと言われてます。今の和菓子とそのまま比較は出来ませんが、主食ではないおやつとしての役割があったとすれば、それは立派な和菓子ではないでしょうか。

弥生時代に入ると土器などもちょっと洗練されて行きますよね。見た目の派手さや重厚感は縄文式の方が勝っているので縄文式土器ファンも多いと思いますが、弥生式土器は技術力がアップしています。

着飾る縄文式より見た目はシンプルになり、土器の厚さも薄くなりました。土器を高温で焼くことから強度がアップしました。形も甕型が出始め、そしてなんと「フタ」を付けることに成功し、貯蔵できる食物の幅が増え、調理の多様性にも対応できるようになりました。

現代でも調理器具や厨房の設備、形状で作れる食べ物が変わりますよね。小学校の家庭科室と百貨店の厨房では作れるメニューの幅が違いますし、洋菓子屋の工房と和菓子屋の工房では共通部分もありますが、作れる種類がまるで違います。縄文時代から弥生時代への進化はすさまじかった事でしょう。

 

もちろんそれに伴ってお菓子も進化していきます。単に木の実の粉を丸めたようなものだったのが、米や穀物から現在のお餅や団子の原型が作られていくようになりました。

今のように学校とかスポーツとかゲームとかあった訳ではないと思うので、お菓子作りは子どもにとっては何よりの楽しみだったかもしれませんね。

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柏餅(かしわもち)その⑤ 屋根より高い鯉のぼり

こいのぼり。

最近はでっかいのは少なくなったかもしれませんね。でも全国各地でこいのぼりのイベントはいっぱいしています。わが町の富田林市でも石川という川の河川敷にてこいのぼりの雄姿を見ることが出来ます。

石川河川敷のこいのぼり – 富田林市公式ウェブサイト (tondabayashi.lg.jp)

 

鯉のぼりは中国の故事『登竜門』が由来といわれています。日本では『鯉の滝登り』という名の伝説ですね。

中国の黄河の上流に「竜門」という激流の連なる滝があって、そこを登りきった魚は霊力が宿って龍になると言われていました。

ある時一匹の鯉が激しい滝水に逆らいながら竜門を登りきったところ、鯉は龍へと変身して天に昇っていった…という伝説です。

どんなジャンルでもよく使う言葉の「登竜門」ってここからきてるんですね。

 

さて、武家社会時代には、将軍の家に男の子が生まれると家紋の付いた旗や幟(のぼり)を立てて祝う風習がありました。江戸になると庶民の間で「鯉の滝登り」で立身出世のシンボルであった鯉を幟にした「こいのぼり」をあげて祝う風習として広まっていきました。子どもの立身出世を願うという事です。

時代は変わっても親が子どもを思う気持ちは変わりませんね。

 

鯉の和菓子で決まったものはないのですが、各店色々趣向を凝らしています。上生菓子のモチーフにしたり、大きな鯉を使ったり。

でもアニメのせいなのでしょうか?年々リアルな鯉ではなくて、可愛い鯉のお菓子が支持を受けてきました。

 

あん庵でも20年前はこんな鯉

そして最近ではこうなりました。

もちろんどっちも作ることは出来ます。柏餅、ちまき、鯉の菓子和菓子ってホント楽しめますよね

 

柏餅(かしわもち)その② 柏の葉のヒ・ミ・ツ 和菓子工房あん庵So sweet so happy! 和菓子で世界を幸せに (w-anan.jp)

柏餅(かしわもち)その① そもそも柏餅ってなんだ? 和菓子工房あん庵 和菓子で世界を幸せに (w-anan.jp)

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柏餅(かしわもち)その④ ライバルちまき登場

●東の柏、西のちまき?●

 

俗に柏餅は関東で、ちまきは関西で食べられているという話をよく聞きます。確かに関東ではちまきは関西程食べられていないようなのですが、関西でも柏餅めっちゃ食べてます。

 

元々は関西では柏の木が育ちにくい風土だったのと、先に書いたように柏の葉は次の葉が生えても落ちないことから、子孫繁栄の意味から武家社会の関東地方で柏餅が盛んになったと思われます。

 

一方ちまきは中国から伝わった時に都のあった関西地方に広まりやすかったとか。

その証拠?として和菓子界でちまきと言えば京都の川端道喜さんです。「水仙ちまき」という葛で作ったちまきを作っている老舗なのですが、ちまきの頂点の店と言っていいと思います。

 

僕も和菓子の世界に入ったころ、第15代目川端道喜さんの著書「和菓子の京都」を読んでその和菓子の奥深さと職人の覚悟がひしひしと伝わってきて、感銘を受けたのを覚えています。花びら餅の話とか京都の話とか和菓子職人でなくても面白いので皆さんぜひ読んでくださいね。

にしてもこの川端道喜さん。初代の川端道喜さんは千利休と一緒にお茶を習っていたり、あの古田織部と親交があったそうなので、もうこれ普通に歴史上の人物ですよね。学校でも教えて欲しい!

ちまきというより川端道喜さんのお話しになっちゃいましたが、あん庵でもちまきを作っています。「水仙粽」でも「羊羹粽」でもなく、皆さんの一番なじみが深い「外郎粽」です。粽の巻き方をYoutubeにUPしたものがあるのでぜひ見てくださいね。

 

ちまきの巻き方  https://youtu.be/wc6TBLX56LE

 

川端道喜 | 京名物 百味會 (kyomeibutuhyakumikai.jp)

 

柏餅(かしわもち)その① そもそも柏餅ってなんだ? 和菓子工房あん庵 和菓子で世界を幸せに (w-anan.jp)

 

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柏餅(かしわもち)その③ 端午の節句

●端午の節句って?●

 

端午の節句、こどもの日など5/5は男の子の節句として定着していますね。人日の節句、上巳の節句、端午の節句、七夕の節句、重陽の節句と、五大節句と言われる節句の一つです。節句というのは節目の日の事で、無病息災、子孫繁栄などを願いました。元々中国の暦から来たと言われてますが、日本に入り日本の暦に合わせて宮中行事になっていきました。

その後この節句は明治に入って太陽暦が採用された後でも広く民間行事として残り、現在に至るという事です。

 

「端午(たんご)」とは「月の最初の午(うま)の日」という意味です。ですので元々は午の日にしてたのが、いつのころから5/5になったという事ですね。

 

端午の節句は菖蒲の節句とも言いますので、「菖蒲」と「尚武」をかけて武士の時代に男の子の節句に定着したようです。

尚武: 武道、軍事を重んずること。また、軍備をさかんにすること。

大阪の和菓子~大阪府生菓子協同組合~ (wagashi-osaka.or.jp)

柏餅(かしわもち)その① そもそも柏餅ってなんだ? 和菓子工房あん庵 和菓子で世界を幸せに (w-anan.jp)

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【七十二候・第十三候】玄鳥至(つばめきたる)

春告鳥

小さい時は、ツバメが家に来てくれないかなぁってすごく思ってました。ツバメの頃家は幸せが訪れるとも聞いたことがあります。でも実際来たらフンの始末とか大変そう(笑)

ツバメは春になったら現れる渡り鳥なので別名「春告鳥」って呼ばれたりします。和菓子の世界?で「春告鳥」って言われたらやっぱり「うぐいす」を連想するというか、実際に菓名になったりしてます。まぁ両方とも間違いでは無いですよね。

なぜ軒下に

ツバメが人の軒先に巣を作るのはカラスなどの外敵から卵やヒナを守るためだということは結構知られていますよね。人はカラスや蛇などは除外しますが、ツバメには危害を加えない。そんなことを知っているツバメって偉いですね。かつては昔の人は雀や鳩も食してたと思うのですが、そういえばツバメって食べませんし、どちらかというと微笑ましくて守ってしまいますよね。

ツバメの子育て

さて、ツバメの卵が孵化するのは産卵から2週間。雛が巣立つのは3週間。1日一羽につき100匹ほどの虫を食べるそうですから、子育てホンマ大変です。

育ったら今度は人家から離れて自然の中に寝ぐらを作って集団で過ごします。 そう、成人?すると軒先の巣から山などへと引っ越しする訳なんです。

でも、長めにみても産卵から巣立ちまでは2ヶ月くらいですよね。渡り鳥なんで半年近くはいるはずなんですが・・・。

そう、子育ては1回じゃ無いんです。大体のツバメは2回卵を産んで子育てします。

そして秋には東南アジアの方に渡っていきます。春にはまた日本に戻ってきます。

越冬つばめ

ヒュ~ルリ~~~ヒュルリララ~~~

小学生の時に好きな芸能人と聞かれて森昌子と言ってだいぶ引かれたのを思い出します。

「越冬つばめ」聞きたい方は下をクリック!

https://youtu.be/bTUuzOu5iiw

という、越冬ツバメなんですが、普通に九州ではよく見るそうです。この歌のイメージは九州よりもなんか雪国の感じがしますが、実際は暖かいところにいる様ですね。

でも不思議に思いません?

日本では越冬出来ないので東南アジアに渡るんですが、東南アジアって1年中暖かいんです。

だったらわざわざ命の危険をおかして日本まで来なくても東南アジアで年中暮らすっていうライフスタイルでも良かったんでは無いかと。

実は東南アジアはそこまで大量に虫がいるわけでもなく、また他の鳥とも取り合いになるので雛を育てるには爆発的に虫が増える日本の春夏が適してるそうです。

だからツバメにしたら子育ては日本でして冬は寒いから暖かいところに避難するみたいな感じで、ベースはどうも日本のようですね。

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七十二候という季節があります。恐らく世界で日本だけだと思います。四季が明確にあるだけでも珍しいのに、それをさらに24もの季節に分けた皆様ご存知の「二十四節気」という季節があります。いわゆる「立春」とか「夏至」とか「大寒」とかですね。その24の季節を更に各3つの季節に分けたものが「七十二候」と呼ばれる季節です。

おおよそ5日ほどで変わっていく季節。そんなに変化ある?って思う方もおられると思いますが、季節の名前を聞くと「なるほど!」ってうなづける事も多いです。日本の素晴らしい環境とそれを感じとる感性豊かな日本人。日本に生まれてきて良かったと感じる瞬間です。

(元々この暦も中国から入って来たとされてますが、現代に残ってる暦は日本に合わせて日本独自にブラッシュアップされたものと言えます)

参考文献
日本の七十二候を楽しむ~旧暦のある暮らし~
白井明大(株KADOKAWA
季節七十二で候。
大田垣晴子(株KADOKAWA
くらしのこよみ
うつくしいくらしかた研究所
くらしを楽しむ七十二候
広田千悦子(泰文堂)
にっぽんの七十二候
角謙二(株式会社枻出版社)
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